こまちの脳梗塞日記

穿通枝梗塞に2016年3月6日になり、(当時43才)日に日に動かなくなり、最後には手も足も動かなくなり左半身麻痺〜(・・;)。その世界では結構有名?な先生から「脚はある程度なおるかもしれないけど、運動神経無いから腕は諦めて、新聞とか読むときの押さえることとかに使ってね♪」と言われてからのリハビリ日記なうw

死ぬことについて

まぁ。

なんて。

物騒なお題w

 

この病気になってから何度「死のう」と思ったことやら( ̄▽ ̄;)

 

初めて「死にたい」と思ったのはリハビリ病院に入院中

恥辱

屈辱

理不尽

な、めにあった時。

 

あの時から「自殺」という言葉が頭の片隅にいつも存在するようになった。

 

「死」というものがとても身近に「人生の終焉」

などがすぐそばに居る。

 

子供の、頃

北斗の拳」をリアルタイムで読みテレビて見ていた頃にできた目標は

死ぬ時

「我が人生に悔いなし」

と、思える人生にしよう!と思って生きてきた。

そのためには自分の中では努力も惜しまず生きてきたつもりだ。

 

そう考えると

「病気」とはなんと恐ろしいものだろう???

と、一瞬思うのだけど

私に「死」を身近に感じさせたのは看護婦どもだから、なんか少し違うな。

 

それにつけ加えて、病気による麻痺。

順調によくなり、そして突然急降下で機能が落ちる。

それでもまたよくなるのは分かっているから気持ちを(メンタル)を、持ち直す。

それを今年の夏は月に何度も何度も何度も繰り返した

今年は酷すぎる。

私は来年度から資格を取るために学校に1年近く通うつもりでいるんだけど

ここまで、乱高下が多いと果たして

電車に乗って片道1時間の道のりを毎日通えるだろうか?

通学中線路に落ちたり階段から落ちるもしくは倒れる可能性が否定できない。

努力や気合いでどーにかなるレベルではない。

今年のような異常気象は多分これからずっとつづくだろうし。

 

私は何の為にここまで努力をしてきたのだろう?

 

高齢な両親の手伝いをするため。

 

子供たちが将来結婚をする時私の障害が理由で断られない為。

 

子供たちの足でまといにならない為。

 

自分の未来の為。

 

そう考えた時。

私は自立している必要がある。

 

そのために地べたを這いずってでも頑張ってきたけれど。

 

どーにもならん。

 

いつまでたっても家飼いの室内犬か猫でしかない。

ただ無駄に息を吸い二酸化炭素を排出し、

無駄に電気を使い

無駄に食事をする。

無駄に薬をもらいただ寿命を消費する

無駄にテレビをつけて見たい訳でもないのにただ付けておく。

なにかをする訳でもなく。

ただただ月日が流れる。

今日が何日なのか?すら分からなくなる。

外にもでないから今日暑いのか?涼しくなったのか?雨なのか?すら興味が無い。

朝なのか?夜なのか?夜中なのか?

それすらどうでもいい。

常に用事もないんだから。寝たければ寝ればいい。

廃人的生活。

ニートより悪い。

 

友人などはそんなグータラ生活羨ましいっていうけどね?

こんな生活数ヶ月もやってたら精神が病むね。

やりたい事もやりつくしたし。

楽しみも特にない。

 

ダラダラ思うことを書いてみて思うことは。

 

鬱の初期症状だな( ˙-˙ )

 

これをどうにか持ち直さないといかんのが今からの課題か。

 

1番の問題は

これを繰り返してきていて

「死」のビジョンがどんどん色濃くなっている。

殺り方は?

どこで死のうか?

などなど。

プライドが高い私は「自殺」するわけにはいかないんだけどね(´-ω-)ウム

 

困ったねぇ