こまちの脳梗塞日記

穿通枝梗塞に2016年3月6日になり、(当時43才)日に日に動かなくなり、最後には手も足も動かなくなり左半身麻痺〜(・・;)。その世界では結構有名?な先生から「脚はある程度なおるかもしれないけど、運動神経無いから腕は諦めて、新聞とか読むときの押さえることとかに使ってね♪」と言われてからのリハビリ日記なうw

天気も良く桜は満開

 

発病前はこの季節が好きだった。

生き物の生命の息吹を感じ風を感じ春の香りをかぐ。

なんとなくワクワクする身体の奥から湧き上がるなにか。

草がボーボーに生えてくるのは困るけどね( ̄▽ ̄;)

 

今もこの季節、満開の桜は嫌いではないが、少し複雑な気持ちでもある。

 

2年前ちょうど昨日、今日のような晴天に満開の桜を娘の車に乗りながら見た。

市民病院で急性期を過ごし、リハビリ病院への転院の日の

「これからどうなるのだろう?」

漠然とした不安。

今まで生きてきて「入院」というのは、出産の時だけで病院自体に全く縁がないと言ってもいいような人生だった。

子供たちは既に1番したが高校生。

まぁ、兄弟だけでもなんとかやっていくだけの知識は与えてある。

仕事関係への連絡、生徒保護者への連絡などなど

携帯でしながら車に乗っていた。

 

私は麻痺が出て、手足が全く動かなくなってから、泣くことは少ない方だったと思う。

 

私が取り乱せば大きくなったとはいえ、子供たちは取り乱す。頼れる親戚は近くには居ない。夫は単身赴任。

心を折るわけにはいかない。

それでも、突然涙が何故か出てしまうこともあった。

この日もそうだった。

 

転院先に到着してロビーで車椅子に乗って待っている時。

抑えきれない不安。恐怖。などなどに飲み込まれた。

本来。私はヘタレで、ビビりなのだ。

でも、子供たちを1人で育ててきて、父であり母である私

(夫は月に1度帰宅するだけの単身赴任14年、私の実家は直線距離で150キロ、夫の両親は結婚前に他界)

の弱いところ取り乱す所を見てこの先数ヶ月子供たちだけで助けもなく生活していくのに不安を与えるのは親として本当に情けなかった。

それでまた泣けた。

 

まぁ、その後は、私が入院中色々思いを巡らして悩んでも仕方が無いので、今私がすべき事だけに全てを集中したリハビリ病院生活を送ることになる。

 

まぁ、実際、子供たちは本当によく頑張っていた。不安とお互いへの不満で爆発した時もあった。それでも私が思うよりも大人だったのでよかったけどね^^

 

困り果てた時は、遠くから両親も来てくれて、子供たちのガス抜きになってくれたり、本当に有難かった。

 

この季節が、満開の桜が私の人生の境目であり、新たな人生のステージへの突入であり、

過酷で、経験値の上がる修行のような日々のスタートだ。

 

華々しく送り出されたというところだね(笑)