障害者
今日は夫と息子とコストコにお買い物
なるべく空いている時間帯を選んでw
運良く駐車場もすんなり見つかり、入店。
試食を貰ってニコニコしながら、そのまま前を見ないで曲がってきたカートにそう強くではないがぶつけられた。oh......(´・ω・`)
まぁ、混んでるから仕方が無いなーと。
そしたらさー。
なぜか睨まれたわ( ̄▽ ̄;)
お母さんと小学生4年くらいの息子2人で。。。
当然のように謝りもしない。
私の杖と足の装具を見て睨んできた感じ?
多分、コストコみたいな所にお前みたいな奴が来るな的な感じかな?( ˙-˙ )←被害妄想
なんかね。
日本人も地に落ちたなぁ。。。
と。思うことが多くなっては来たものの。
これが時代の流れなのかなぁ。。。と
思ったり。
かといって、障害者でもマナーの悪い人を見たことは当然あるわけで。
高齢者もね。
先日見たのは
高齢者マークをつけた車が当然のように、駅前のロータリーの道にハザードつけて止めてあった。3車線の真ん中レーンね。
隣には20分無料の駐車場がある。
路駐なり、送迎の場所も別の所に当然ある。
どういう心境になるとそういうことができるようになるのか?私には今のところ分からない。
また別の時
自衛隊の航空ショーを見にまだ健常者の頃子供を連れていったときのこと。
無料無人駐車場があり、そこに、なんと。
駐車場の通路を塞ぐように、障害者マークの車が止めてあった。駐車場を使っている人は出ることができないだろう。
某障害者サイトの書き込みなどでは。
付き添い無しでは色々不自由な方が、
「予約なしで病院に連れて行って欲しい」
と利用日前日にサービスさんに電話して、お願いしたら、無理だと言われたことが酷いというような事が書かれていた。
確かに病気や、痛みなどで苦痛があり、心身ともにゆとりがなくなるとそう思ってしまうのかもしれない。
障害者になって、当たり前にできていた日常生活ができなくなるのだから、常に苦痛や自尊心を傷つけられることもある。
当然、私も似たようなもんだし、子供に都合つけてもらって付き添ってもらい、病院予約して行っても2時間待たされて体力尽きて、帰宅しようと思ったらそのまま倒れた事もある。
その時の病院の理由は
急患で生死をさまようくらいの患者さんが来て、御家族への質問などの対応に追われたため。
それは仕方がないかな。ってベットに転がりながら思ったりくらいかなー。
コストコのぶつかってきた親子ももしかしたら、嫌なことが続いていて、やっと遊びに?来れたコストコで長い行列にならんで試食をしまくりストレス発散に来ていた所に、私にカートをぶつけても「謝る」心の余裕がないほどだったのかもしれない。
ありえない場所に高齢者だからと駐車をしたのも、この季節の変わり目の元気な健常者でも体がしんどい三寒四温。高齢者はさぞかし辛いだろう。春休みで孫でも駅まで迎えに来ていたのかもしれない。
私自身、子供の頃から親に「弱者に優しく、誰にでも親切にするように」と育てられてきているものの
20代の時、物凄く疲れ果てている時は電車で席を譲るのに躊躇することもあった。
でも、やはり、すぐに行動できなかったり、優しくできなかった時の事は理由はどうあれ、私にとっては恥であり、未だに覚えている^^;
どこまでが甘えなのか?どこまで頑張るべきなのか?
超高齢社会。若くても色々な理由で中途障害者になったり、生まれた時から障害者の人も多い。
健常者でも、仕事がハードな人もかなり多い。
休日は眠って終わりという友人も何人もいる。
「私は障害者だから、高齢者だから、優しくしてもらえて当然」
では無理な時代訪れているのかもしれない。
障害者でも、高齢者でも、「私は弱い存在で助けて貰って当たり前」ではなく、相手の都合や、気持ちを思いやれる心の余裕があるといいね。
どうしても、出来ていたことが出来なくなると、いつの間にか自分中心に物事を考えてしまうような気がする。
とても難しいことなのかもしれないけど。
視野はなるべく広くしていきたいなーと思った
やっぱり1日数分でも瞑想とかして心の鏡を磨かないといけないわね|ω・)
と、生意気な事をつらつら書き綴りおわりw