こまちの脳梗塞日記

穿通枝梗塞に2016年3月6日になり、(当時43才)日に日に動かなくなり、最後には手も足も動かなくなり左半身麻痺〜(・・;)。その世界では結構有名?な先生から「脚はある程度なおるかもしれないけど、運動神経無いから腕は諦めて、新聞とか読むときの押さえることとかに使ってね♪」と言われてからのリハビリ日記なうw

やっぱり握力は必要だねぇ

8月に入院することになっる事態になってから、機能低下して困ってしまうのは。

 

まぁ、全て困るんですけどね。

 

握力がないのが困る(´・_・`)

事に最近気がついた。

 

久しぶりにペットボトルをあけようとしたら、本体が手の中でクルクル回る。

リハビリ病院に入院中のときもそんな感じでした。

ある意味懐かしい( ̄▽ ̄;)

 

一番の問題は!

スマホゲーする時!せっかく親指の動きが良くなったのに、本体が滑り落ちる!!!

片手で遊ぶ時は机の上か、麻痺手の上にに置いてやるからいいんだけど。

 

ε-(´-`*)

 

最近まで不都合に気が付かなかったのは。

主人や夏休みの子供たちがなんでもやってくれて、私は「本当に」なにもしないでゴロゴロとトドのような生活をしていて動く必要がないので、気が付かなかったという( ̄▽ ̄;)

 

おほほほほほほほほほほ(*´ 艸`)お恥ずかしい

過去ログ9 入院中の腕と足

この病気になって1番

『困った』

と初めておもったのが指。グーになってうごかすことができない。爪が手にくいこんで痛い(T_T)
うでも内側に曲がっていて自力で伸ばせない。

発病して1ヶ月後がこんな感じでした。
入院したばかりの時は普通に動いていて日に日に動かしずらくなり、そしてダラーンと動かなくなって、動かない手足を念力をしているような感じで脂汗流しながらムリクリちょびっと動かし、リハビリ病院に転院して初めてのリハビリのとき、麻痺指を動かしてといわれ、やってみたら…


『動かない』


正直なにが起こったのか理解するのに時間がかかりました。

転院してすぐは、検査がメインで2日ほどはリハビリなかったと思います。
その間に動かなく?ちょびっとも動かせなくなっていた。

その動かない伸びない指をリハビリのN先生が伸びるように動くようにキッカケをくれました。
この時、また動かなくなる恐怖があり、この感覚を忘れないようにしようと決めました。N先生はリハビリの度に、筋肉の本を見せてくれて、
「今この筋肉をこう動かしていて、だから、この指が動くんだよ」
と丁寧に教えてくれました。
その先生は数日で担当が変わってしまったのですが、それらを全てを麻痺腕の筋肉の動き感覚の全てをより細かく繊細に感じ正確に動かせるようにすることにしました。


そのために、昔の剣豪や伝記にある第六感を開眼することにしました。
高校では『アソカ』という瞑想の時間が週1で一時間ありました。
ヨガでも瞑想をしていたので、後は自分がそれらを組み入れて一番自分に合うやり方を見つけてやりました。
まず耳が物凄くよく聞こえるようになり、足音でだれが来たかわかるようになり、足音のリズム、ズリ具合からその人の身体のバランス、身体の不調、後遺症などがわかるようになりました。その感覚を自分の麻痺した腕足に応用。


セラピストさんが
「ここを動かして」
と触る場所を単体で動かす事ができるようになりました。


それを反復を繰り返し脳に覚えさせました。

目が白黒するくらい脳が疲れました。昼食後は、必ずベッドに横になり眠れなくても、目を閉じて『休む』と決めて脳と麻痺手足を休ませ、麻痺手足に電気をつけてるときでも、必ず横になり『休む』ことをしました。

この場合は脳を休ませるので、電気をしていても筋肉へのアプローチのみ。

(集中していない)

起きて居るときの電気は筋肉とその筋肉の動きを覚えるための脳へのアプローチの両方。

(集中している) 

分離単体での動きリハビリじゃないときの筋肉へのアプローチをするときは、いかに効率よく自分にとって楽につづけられてお得かを考え、たとえば、手の健をのばす時はついでに足首を上げるリハビリを併用したりなど(笑)これらが自主トレです。
腕でまずぶち当たった壁は机拭き。

できない。

そんなときまたまたN先生登場。
「両手で同じ動きをしてどこがちがう?」
私は
「麻痺側は腕が重い!」
なるほど、腕を軽くすればいいのか!
腕を支えるのは肩だ!
鏡で自分の身体をみると、麻痺側は肩はずり下がってて、腕手はパンパン。
肩の筋肉がほぼなくて、骨の形が浮かんでいる((((;゜Д゜))))


そこで私は肩の筋肉をつけることにしました。


やり方はお勧めできませんが。
リハビリ室のベッドで四つん這いになる。
麻痺してないほうはいつでも全体重をささえられる準備をして麻痺側の腕が曲がらないように注意しながら。


その結果机拭きは簡単にできるようになりました。

 

その後
私はN先生にききました。
「前の病院で手は治りが遅いし固まりやすいと聞いていたのですが、そうですか?指と腕どちらを優先させたらいいですか?」 

N先生
「たしかにそうですね。直りやすさでいえば胴体に近い所のほうが治りやすいと言われています。先にいくほど時間がかかります。が、腕だけ動いて手がうごかなかったら、取ることも動かすこともできないですね。逆に手が器用に動くようになっても腕がうごかなかったら使えないですし、両方重要です。」

同じ事を何度も聞いたと思いますが、嫌な顔ひとつしないで毎回丁寧に答えてくれました。
なるほど。。じゃぁ両方やろうと決めました。

肩の垂れ下がりはなかなか直らずY先生に聞いてみたら良い方ほうを教えてもらい、数日で肩はかなり上がってきました。

 

やり方は
うでを前で組む良い方で麻痺腕をささえる。そして、良い方で麻痺側と良い方両方を真上に持ち上げる。
つまり、恰好でいうと首をすくめる。それをゆっくり数回くりかえす。ドスンと肩をおとしてはダメ。痛みがでるときはやらない。それを暇なときにやる。

 

暇?な時の自主トレは腕のストレッチをして肩を持ち上げ、足はスクワット。


ベッドに転がって休んでいるときは足首のリハビリ。上向きで寝転び、かかとをつけたままひざを立てたり伸ばしたり。

 

自主トレは、良い方もふくめての寝ころんで伸びるからはじめるできる範囲のストレッチ。四つん這い、おしり上げ、指が固くなったら指のストレッチと腕の健伸ばし、うでを寝ころんで角度を決めて止めるおでこの上にのせてキープなどなど、なれてきたら、両手でゆっくり同じ動きをする。脚上げ腹筋。膝まげ腹筋、などなどそんなことを毎日しました。

日曜日はリハビリ室が空いているので、脚は立て膝になりベッドのうえを歩き回り、退院するころには歩腹前進。(こんなことをする人は居ないそうです。)
歩腹前進ができたら、腕、指を動かすのがものすごく楽になりました。

入院半ばでは、リハビリノイローゼになり、夜ねむっていても、明日はなにをしてみよう?何ができるかな?なにをする事ができるかな?と考えながら眠っていたのだけど、なんと、眠りながら麻痺手足が勝手に自主トレをしていて目が覚めて眠れない!!Σ(・ω・ノ)ノ

そこで一泊二日で帰宅しリフレッシュしました。
友達がドライブに連れてってくれて映画にもつれてってくれました。
大きなショッピングモール、岐阜県最大級モレラ(笑)
そこでは映画を観て、外食。あとは通路の椅子に座り歩く人をとにかく観察しつづけ自分の歩き方となにがちがうのかを研究。
手の普通をふりや形角度などを観察。
数時間見てたと思います。良き友をもちました。

 

私の腕のリハビリ病院での終着点は髪を結ぶことができる。でした。
自力で頭まで手を持って行くところまでできるようになりました。指もなんとかうごかせるようになり、あとはゴムを伸ばす力だけになりました。

そこで、毎度お馴染みの鬼(お風呂の件)が登場して、そこで終了。

一番わるいときから退院までに、よくわからないのですが、幼少期の事をよく思い出し、つぎはコレができそう。とか動物番組の鳥の雛が飛ぶ練習をしている映像などなどがよく頭にうかびました。

 

脳の疲労
脳は痛みなどは感じないので本当に疲労と感じているのはおかしい。というのが一般論らしいです。


が、私のように疲労すると言うひとがまれにいるのも事実。
そして動かない筋肉を動かそうとするとなんか「もわもわした感じ」というものをこの病気になった人は感じる人が多いみたい。
同じ病院に入院してたひとたちは結構そういってました。
健常者には解らない感覚。
私はそれが動きにつながる『光明』だと思いその感覚を少しづつしっかりとしたものにモワモワから固体?に変えていきました。

私くらいの症状でここまで良くなるひとは本当にまれだと、とどのセラピストさんもいってくれます。
指の起用さ、腕の動きが平行して良くなる。
今のところ実行できてます。
本当に良いセラピストさんたちに恵まれました!
どのセラピストさんたちにも感謝です!!

過去ログ7 入院中の自主トレ

私はよくセラピストさんになにか運動してましたか?

と聞かれました。
中学までは水泳をしていて、高校は帰宅部。その後二年間民間のミュージカル劇団に入って、32歳まで子育てオンリーかなー?その後5年くらい実践空手の先生に護身術を教えてもらい。三年前まで市民プールでヨガやらエアロビを週1行ってました。
小学校高学年の時背筋は100越え、この病気になる前までは20才の娘たちをお姫様抱っことかできてました。


と、いうのを踏まえて……。
セラピストさんたちから出された自主トレを地道にこなしてきました。

 

『とりあえず、転ばない無理をしない筋肉痛にならない。』

 

を条件にかかとをつけたスクワット。規律台に毎日15分のる。それを1ヶ月くらい続けました。そしてとにかく一日中リハビリ部屋の手すりのところをグルグル歩き、杖でリハビリ部屋のなかをグルグル歩きました。
リハ部屋ベッドでのおしり上げ、などもかなりしましたが、足を上げてやってもどうしても麻痺してない方が全てやってしまってこれは私にはダメでした。
そこの病院には上り下りする階段があり、高さも普通の階段の半分。
セラピストさんから『この階段を脚の悪い方から上がって良い脚から降りてみて』といわれ、今度はそれを永遠にやってました。休む時は車椅子にすわってついでにモモ裏の筋トレ。
私は足首が上がらず、後ろに蹴り上げることが全くできませんでした。
それをなんとかするために、セラピストさんにどの筋肉を使うのか教えてもらい、どういうトレーニングがいいのか聞き、それをさらに楽にできる方法を考えたりセラピストさんが考えてきてくれたりしてそれらを全てひっくるめて、筋トレをしました。その結果、全ての筋肉が動くようになりました。が、それらをどう動かすのかは頭で考えてやらないとできず、自然に普通には歩けないんです。
とりあえずさらに麻痺足を鍛える為に
麻痺足で装具つけて片足スクワットやらしゃがむなどをしました。退院あたりでは膝回し。グルコサミンのCMでやってるやつがなんとかできるくらいまでになりました。
あしの指もすこしずつ動くようになりましたが、親指が折れ曲がってくるようになりました。それもイメージトレーニングでかなり軽減することに成功w
と、順調だったのですが、一部の看護士さんたちのメンタル攻撃にあい、そこで撃沈。
この病気になってメンタル保つだけでも大変なのにさらに負荷をかけれるあの人たちは鬼だー!(笑)

 

過去ログ6

2016年8月

夏休みになり息子が寮から帰省したのをいいことに、自分の身の回りの整理をてつだってもらった。
とりあえず、いままでしていた仕事の材料やらを分別。ひとつの棚だけでこんなにあるのかー(´Д`)というくらいの量。10年間やってきた教室を辞めるのはしのびないが、まぁ、現実を受け入れるしかない。
またやるだろうととっておいた試作品などがわらわらわと出てきた。
自分の感覚は手足ともによっぽどまで復活すると思ってはいるのけど、それが近いうちではないのは確信がある。
出来る事も増えて、コンタクトをはめるときに麻痺した指でまぶたをおさえておけるようになったり、まぐれでもブラのほっくがうしろむきで1つひっかけることができたりしてる。
でも、最近はご飯を食べたあとでもだるくなって疲れてしまいソファーでねころがらないと動けない。頭がふわっとするし、大丈夫なんだろーか(・_・;)

過去ログ5

雨の日は恐ろしく身体がだるい。こんなんでほんとに社会復帰できるのか?!
回復期に入院してすぐ主治医に3ヶ月は入院して動きが安定するまでかんばろうねって言われていたのが、これなのか?
動けない日が続くと手足の動きが悪くなる。

それにしても、まだ回復の見込みがあり、社会復帰の見込みのある人間を理不尽な都合で早期に退院させてしかも他への転院まで邪魔して障害者年金をマックスまでうけとっていくようにしていいのか!?
国は病院に甘すぎないか!?確かに病院ないと困るけどモンスター病院じゃしょうがないじゃん?
税金払う人間へらしてどーすんの?

過去ログ4 試す

指や手の動きにくさ、むくみ重さを脳を騙して改善し麻痺するとなかなか筋肉の線が太くなりにくい層なのでそれもためしてみようかと(▼∀▼)

 

入院中作業療法士のとある先生が


「こまこさん。腕って重くないんですよ。麻痺したばかりの時腕が重かったから、ずっと重いと思い込んでいませんか?」


その時座った状態で腕を真上まで挙げるということをしていて、一応上がるんだけど、ひじが少し曲がり、首が傾く感じでした。
その先生が何度か麻痺した腕をサポートして真上まで挙げてくれました。その時自分では力を入れてない状態です。


「このイメージです。解りましたか?ではやってみてください。」


そしたら軽く腕が挙がるじゃありませんか!ひじも首もまがらずに!

ということがあったので、それを踏まえてやってみます!(▼∀▼)

過去ログ3 とりとめもない話

回復期にきたばかりのときは、肩がさがり、腕がなんとか肘から一瞬上がるくらいで指は固くグー。腕は伸ばしてもらえば伸びるくらいで、足装具は小さいものを使い一本杖で冷や汗をながしながら40メールくらい歩くのがやっとくらいでした。
セラピストさんに
「今まで覚えてきたやり方は全て忘れてください。リセットしてください。とりあえず身体をやすめてください」
と言われました。

 

私は3人の子供がいます。早くに結婚し順調に子供もでき、一番上は大学生、一番下は高校生。倒れた時の数週間前に真ん中の子の大学受験がおわり、全ての子供のだいたいの進路がきまり、安心したやさきの発病でした。
親は父が今年のはじめに心臓弁の手術をして障害者一級、母は数年前からパーキンソン病それでも実家で二人でスローライフをしています。

ですがこの二人の介護は私がしなくてはならない予定です。子供たちが結婚したいと思った時、私が障害者で介護が必要となったら、相手の人の親に断られることもあるのではないだろうか?
実際ちまたの話しを聞くと、結婚の挨拶に息子の彼女が来たときに、そこは奥さんが介護が必要。

「私はあなたの介護はしません」

と言い切っていったそうです。
まぁ、そんな人に介護されたくないけどね。
でも世の中はそんなもんなのかもしれないなぁ…と。
子供たちには幸せになってもらいたいし、苦労してもらいたくないっておもうのは親として当然だし、私もそう思っている。
寝たきりの周囲に完全依存しているお年寄りも沢山しっているし見てきたし。
まだ自分でなんとかしようと頑張っている方ならいいのかも?とも思っていましたが、入院中の看護士さんたちを見ていると、それが迷惑っぽい。

 

勝手に動いて怪我でもされたらたまらん。

人としてプライドをもってなるべく頑張りたいという高齢者にたいして恐ろしく冷たい。


きっとこの人たちに数ヶ月そういう扱いを受けて、帰宅する頃には、完全依存になるんだろうなぁ。。


入院してきたばかりのときは明るいおばあさんたちも、暫くすると顔色が悪くなり、しゃべらなくなり、部屋から出てこなくなる人が多いのもそのせいらしい。家族の人達も怪我されるほうが困るし、あるときお見舞いに来たら、腕に痣ができていて、看護士さんにいいてみたら、「しりません」と言われたそうです。


その痣は車椅子のロックをし忘れて、ベッドから車椅子に移るときにできたものでした。(同じ部屋のおばあちゃんで、コケたときに私もいて、私がナースコールしたので)
なんだかなんの話しかよくわからなくなってきたのでこのへんで。