こまちの脳梗塞日記

穿通枝梗塞に2016年3月6日になり、(当時43才)日に日に動かなくなり、最後には手も足も動かなくなり左半身麻痺〜(・・;)。その世界では結構有名?な先生から「脚はある程度なおるかもしれないけど、運動神経無いから腕は諦めて、新聞とか読むときの押さえることとかに使ってね♪」と言われてからのリハビリ日記なうw

心の問題は難しいね

昨日は両親とちょこっと遠出して三保の松原まで行ってきました。

途中焼津魚センター(インター脇)に数年ぶりに寄ってお昼を食べたり買い物したり♪

 

まだ10代の初心者マークの頃からここに来たら必ず行くお店や食堂?があって、今回もそこの食堂へ行きました。

 

店はリニューアルされていました。

受付の姉さんは昔の姉さん♪

 

いつものようにマグロ丼を注文、

ここのはネタが大きくて、当分マグロ食べなくてもいいやーwってくらいの満足感を与えてくれてお手頃価格なお店。芸能人やテレビ局も昔からよく来てた店。

それでもネタはいつも大きくて大満足だった。

今回も当然それを期待して店の前に並んだ。

 

しかし。

出てきた丼はネタは薄く小さく回転寿司なみのネタが。ご飯が残ってしまった( ̄▽ ̄;)

 

もう、ここは来なくていいや( ̄▽ ̄;)

 

いつも冷凍マグロをお土産に買うお店も主人が変わっていた。

聞くと数年前から代替わりやらなにやらで

ガラッとかわったそうだ_| ̄|○

 

それでもお土産などなど見て周り、多少購入

その時、店の看板娘のおばあちゃん(身長130くさいの完全白髪のいかにもおばあちゃん)が私の杖に気が付き、それは哀れそうな顔をしながら

「どうしたの?」

脳卒中になっちゃって、ほら、秀樹とおなじやつね

「うんうん(泣きそうな顔をして私の手を両手で握り)大変だったねぇ。食事とか気をつけないといかんよ。

栄養とらないといかんよ。絶対再発しないようにね」

と言ってくれた。

私的には、普通に心配してくれてありがとう。御自身の身内や友人にもこういう人がいるのかもしれないなーとか思ってたのね

まぁ、こういう心理になるまでには時間がかかったけどね(笑)

 

でも、一緒にいた母は違っていた。

 

その場を離れてから

「失礼しちゃう」と真面目に怒っていた。。。

 

親としては多分

私のおばあさんくらいの高齢者さんに私が哀れまれる。

それが、怒れる。

 

なんでも、とりようだけどさ。

お母さんがその事に対して「怒る」ということは、本心はお母さんも私の事を「哀れとか、可愛そう」だとおもってるからなんだけどさ。

その事は当のお母さんは気がつくはずもなく(笑)

 

そんな思いをさせてしまう私自身本当に情けない話だね(笑)

 

そうやって色々な方向から考えると

 

障害者に対してどうせっすればいいのか?

 

と、いうのはとても難しいもんだね

 

障害者のほうも強くならないとねw

 

まぁ簡単な話ではない。