こまちの脳梗塞日記

穿通枝梗塞に2016年3月6日になり、(当時43才)日に日に動かなくなり、最後には手も足も動かなくなり左半身麻痺〜(・・;)。その世界では結構有名?な先生から「脚はある程度なおるかもしれないけど、運動神経無いから腕は諦めて、新聞とか読むときの押さえることとかに使ってね♪」と言われてからのリハビリ日記なうw

脳卒中麻痺の恐怖

脳卒中麻痺が治っていく過程での恐怖について。

 

かくいう私もすっかり忘れていた事。

 

今回、たまたま、今見てる人がそうなっていたので相談していて分かって、思い出した事。

 

私は、毎度書くけど、脳外科、リハビリ医の資格を持つ医者から

「あなたの手はもう動きません。新聞を読む時に重しとしてつかってください。みてみて、脳画像のここ、脊髄に司令を出してる画像だけど、片方なんにもないでしょ?少し出てるのは足ね。だから動かないよ」

 

と要約するとそんな感じの事を言われたんだけどね、

その後動くようになっていくんだけどね。

 

でも、それを言われた時は、OTにも言わなかったけど、首から肩にかけて、常に引っ張られていてたまに痛みが出ていた。

でも、その事は「気のせい」と自分に言い聞かせて肩を上げるリハビリをしていた。

その後もパーがいつまでたっても出来ず、順調に回復していく周りの人達を恨めしくも思っていた。

その回復してた人とかは

「大丈夫、私も今のあなたくらい動かなかったけど今はパーができるようになった」

って励ましてくれたけど、なにをしても、どうしても自力で動かない指。医者からは諦めろと言われた指。

OTさんは、

「あの人は治る人あなたはあの人ではない」

とその都度言われる。

それこそ、血反吐を吐き地べたを這いずるほどの努力をした結果

(やみくもにがむしゃらにやるのではなく、そうしたいのを我慢して、正確に地味なリハビリ、瞑想、集中)

衝撃的だった。

ある朝ベットで伸びをしたとき、腕が上に上がりパーになった。

一瞬で寝ぼけていた私は覚醒した。

指がちゃんと全部伸びてしかも力強くパーになっている!!!!!

その事をOTさんに報告

OTさんの顔は曇った。

「うーん。それよくあるんですけど、それが出来たとして、動くようになる前兆とかではないんですよ。」

私、ガッカリ。

でも、回復期の担当看護師さんが、

「どんな些細なことでも、『 動く』というの針の穴ほどのほんの少しの光明であろうと、『 何も無い』ではなくなったんだから、誰がなんと言おうと、その光明にしがみつき道を切り開くのか?人の言われるがまま諦めるのか?は、あんた次第。俺ならどんなことをしてもつかみとるけどな」

と、言われたことを思い出し、その日から開いた指をどのように自分の意思でできるようにするか?の研究を始めた。

このことをストレートに話すとどうせまたテンション下がることしか言われたいと思ったので、担当OT以外のベテランOTさんとか数人に言い方を変えて、動きについての質問をして、それらの意見を総合して、自分なりに考えを巡らし思いつくもの全てを試し

毎朝空を仰ぎ

「神様仏様。まぁ、誰でもいいからどうか私の手足がうごくようになりますように」

と、たまに涙を流しながら。

今思い出すと訳の分からない事を毎朝中庭に出てやってたなぁ^^;

そうこうしてるうちに、

どのくらいの期間やってたか記憶がないけど、自力でパーができるようになった。

 

ここの日記のどっかに『 動かない手を開く』

かなんかに詳しいやり方かいてあります^^

 

ちなみに、それを利用して、いまみてる、筋収縮ゼロレベルの人の指を綺麗に伸ばすをやってます^^

あと、分離も並行して(▼ω▼)フフフ

手首の安定ぐーは動きとしてかなりいい感じになってきましたヾ(●´∇`●)ノ

 

さて、話を戻して。

 

パーができるようになった私はその後色々なリハビリをしていき、色々できるようになっていくわけですが。

常に付きまとうものがありました。

療法士さんから聞いていた内容で

 

「良くなっていくだけではなく、ガクンと落ちてしまう人もいる。理由はわからない」

 

この話を聞いてから

私の恐怖が始まります。

私はその時今の今まで、怪我などと同じで1度良くなってしまえばそのまま良くなっていくと信じて疑うことがありませんでした。

 

ここまでの道のりは到底楽なものではありません。

もし、また全く動かない所まで落ちたらどうしよう。

またあれだけの精神的、肉体的苦痛に耐えられるか?

今の時点で自分の出来る努力を遥かにキャパオーバーでやってきている。

またこれを1から!?!?

恐怖でしかない。

実際私がそうなるかどうかなんて分からないことで悩んでも仕方がないと頭を切り替えたものの、頭の片隅にはいつもそれが存在していて、今もある。

そのあたりぐらいから、自分が少し前まで出来なかったことを『 無かったこと』のようにする傾向がでてきた。

さらに、努力もした。沢山自分に合うリハビリを考えた。

周りからは

「女の人であそこまで頑張る人は見たことがない。男の人はたまにいるけどね」

と言われるようになる。

 

ついには、眠りながら体がリハビリを始める始末。

ふと頭が覚醒すると、足がかってに伸ばしたり膝を曲げたりのリハビリをしているのだ。

さすがにこれはまずいと思い、OTさんに相談。1度病院を離れ自宅に泊まってリフレッシュ。

友達運も手伝って、友達が代わる代わる困った時に来てくれて病院から連れ出してリフレッシュしてくれた。

子供のまえでは弱いお母さんをみせたくなかったので、友人達の所が唯一弱音を吐ける所。

どうしてもどうにもならない時は、友達に夜泣きながら電話をして、話をきいてもらったりもしたなぁ。。。

ちなみに、私は母子家庭ではない。(笑)

 

リハビリ病院を退院して初めての冬。

ついにきた。

今まで麻痺側で出来ていたことが出来ない。

上手く歩けない。

訪問のOTさんが

「きちゃったかー。こまちさんは大丈夫だとおもってたけど…」

私。頭真っ白。

それでも前にその事は聞いていたのでそこまでのショックはなかった。

それが発病から9ヶ月くらいだったかな?

 

でも、春になったらまた落ちる前まで戻ったw

この頃から考え方を変えた。

療法士さんに頼るのではなく、やり方の全てを覚えて、落ちた時に自分で直せるように全ての知識を頂くことにした。

 

ここまで、くれば、脳卒中麻痺による恐怖心は無い。

 

でも、今回たまたま見てる人がその状態になったから思い出したくらいの話で。

あまりの辛さ恐怖、ストレスで記憶から抹消していたのが現実だ。

岩砂病院でのお風呂の件も、よっぽど記憶から消えるんだけど、色々な要素が重なった時、つい先ほどのことのように記憶が蘇る。そして、全てのやる気が失われる。動けなくなる。

 

まだ子供が近くにいるから、『 お母さん』としての自分が何とかしようとしている風だけど、もし、これが1人だけであったり、したら多分今より症状が酷いことになっているんだと思う。

 

精神というのは目に見えないだけにやっかいであるが、1番繊細なものなのかもね。

 

そして、脳卒中だけでなく、特に途中麻痺の人が抱えるストレスは記憶を消してしまうほどのストレスなんだなぁ。。。と他人事のように思うあたりも私の自己防衛が働いているのかもしれない。

 特に私は本来の正確はチキンだw