「理詰め」について考える
今日生まれて初めて「理詰め」と言われ、さっそくググってみたw
実におもしろいw
なんでそんな事を言われたのか?頭をめぐらせてみると、確かにあった!
私は脳梗塞になって、脳の使われてない所を新たに開発して動かない手足を動かすことにしました。
本当にそんなことができるのか?
そんな事はどうでもいい。非常事態なのだから。
そう。
こう決めた時から私は、自分が目指す道に不必要なことを考えなくするために、本当は心のどこかにある。
脳の使っていないところを開発なんてほんとにできるの???
などなどの疑問を封じ込めるために、自分が思うあらゆる方向から「できる!」と自分自身を認めさせるために理屈っぽくしている。
これが私のリアルを知らないネット友達には「理詰め」なタイプの人に見えてこの称号をくれたんだろうなぁ。(ほめ言葉ではないね(笑))
この話を家族にしたら爆笑されちゃいました^_^;
(それはそれで酷いわね^_^;)
私のリアルに関わってきたリハビリの先生たちも初めは私のやることをまゆつばでいたし、小馬鹿な態度言葉をなげかけてくる先生もいた。
リハビリがうまくいくようになってからは、
どの人も一目置いてくれるようになった。
だから、どの先生も皆とても協力的になっていく。
協力者がふえれば、自分の考え方だけでなく、色々な意見をもらえる。
可能性が増える。 さらにリハビリはうまくいく。
それが今の私の麻痺が治っていく過程の全てだ。
自分自信のメンタル、考え方も自分で支配してこそ成功するのかもしれない。
本当にそうなのか?はわかんないけどね(笑)
今日は知らない自分と出逢えたような素敵な気分(・∀・)
でも、ネット上。ここでも、そうおもわれているんだろうね(笑)
それなら、私の考え方しか載せていないブログやコミュを覗かなければいい。
なのに気になるとかね(笑)