こまちの脳梗塞日記

穿通枝梗塞に2016年3月6日になり、(当時43才)日に日に動かなくなり、最後には手も足も動かなくなり左半身麻痺〜(・・;)。その世界では結構有名?な先生から「脚はある程度なおるかもしれないけど、運動神経無いから腕は諦めて、新聞とか読むときの押さえることとかに使ってね♪」と言われてからのリハビリ日記なうw

生きる意味

ろくでもないことをつらつら書いてます。

 

今日小室哲哉の引退会見があったね。

平たくいえば、介護疲れと、自分の病気とメンタル疲れみたいな?

 

なんかね。

あの会見テレビでみてて

脳卒中になって障害が残って生きている価値があるのか?

疑問に思ってしまった。

 

1人の介護に3人の補助がいるっていうし。

介護は大変だから、小室さんの介護疲れを癒す為に浮気は有りで、浮気大好き乙武氏の事も取り上げて、介護してる奥さんとしては浮気されて介護から少しでも離れられるなら、黙認してありがたく思っている???とかいうワイドショーがあった。それなら離婚しないだろw

 

なんかね。

私たち障害者って。

そこまでの

お荷物でしかないのね。

 

形は色々で程度も様々だろうけど。

 

私も確かに不自由な身体になって、子供にあれこれ頼ることがある。

特にこの季節冬はかなり世話をかけている。

 

子供たちはいつもニコニコしながら出来うる限り私の要望を聞いてくれる。

 

これは、小室氏の話を聞いているかぎりでいうなら、かなり無理をしている。

障害者の家族は、障害者からみえない所で本心はかなり辛い事ということだ。

これは、いまさらな話ではあるけれど。

 

当事者があんなに辛そうに語る姿を見てしまうとどうしようもなく心が痛む。

 

きっと本当の所は離婚したいんだろうなぁ。

介護しないですんでいたら作詞作曲も引退しないでまだまだつづけていたんだろうなぁ。

 

色々と自分の事と重ねてしまう。

想いがゴチャゴチャと湧いてきて、今、自分が生きていることがとても悪いことのように思えてきている。

入院中あんな屈辱恥辱を受けてでもリハビリを最優先してきても、良くなっても季節の変わり目や冬になると立派などこからみても障害者。1人暮らしなんて出来そうもない。

これだけ努力して、メンタルを犯され、家族や友人に支えられ。

それでも。結局は、小室氏が言うような事が家族の本音なんだろうな。

あの会見をテレビでみてから、発病してから今まで頑張り続けてきたことがただただ虚しく、空っぽな感じだ。

こんな思いをするのなら。

いつも認知症患者のような扱いをする岩砂病院での事を諦めないで徹底的に証拠を集めてメディアに訴える位のことをすればよかったなぁ。

そしたら、多少なりとも屈辱恥辱に屈しないですんだのかもしれない。

戦うべきだったのかもなぁ。

話し合いの後の1週間くらい??の入院中のリハビリはあからさまに酷いもんだったからね。

担当PTさんは本当に可哀想だったね。

OTさんは割り切れたみたいだったけどw

リハビリを取らないで即退院するべきだったのかなぁ。

まぁ。

でも、もし、そんなことをしても。

世間の目に止まるような所では取り上げられることはないだろうけどね。

高齢者の津波がやってくるんだからw

どんな病院でもいいから受け入れ先は必要だもんね。

 

はぁ。。。。

 

とても辛い。

消えて無くなってしまいたい。

 

日本も尊厳死、死を選ぶ事ができるといいのにな。

 

生きたい人はいつまでも生き続ければいい。

 

小室氏の会見をみてから、今の私は自分が生きる意味を見出すことができない。

 

かといって、大義名分もないのに自殺する事は私のプライドが許さない。

 

生きたいのに人生半ば。これからという時に死んでしまった仲間。

 

はぁ。。。。。

 

生かされているんだなぁ。。