こまちの脳梗塞日記

穿通枝梗塞に2016年3月6日になり、(当時43才)日に日に動かなくなり、最後には手も足も動かなくなり左半身麻痺〜(・・;)。その世界では結構有名?な先生から「脚はある程度なおるかもしれないけど、運動神経無いから腕は諦めて、新聞とか読むときの押さえることとかに使ってね♪」と言われてからのリハビリ日記なうw

時間が短くなった~

2週間ぶりの通称リハビリに行ってきました。

今までは、自分で車で通っていたので午前なら午前中じゅういれたのですが、送迎の利用者さんから苦情がでたそうで、1回行くと2時間までしか利用することができなくなったと言われました。

 

うーん。自主トレの予定しているメニューを全てこなせなくなるなー。。

とか思いつつ。

やりくりの仕方を考える。

 

今日の予定は指の第1関節の筋トレ、自転車こぎ、階段、廊下歩行15分、ぺぐ、ボール蹴り、ボール投げ

などを予定していましたが

結局できたのは、指の筋トレだけという^^;

 

こりゃ困ったね(笑)

 

でも。まぁ。

リハビリ病院では看護師のあまりにも酷い理不尽とを訴えたら、主治医(医療法人社団友愛 岩砂病院 脳外、リハビリの森しんじ先生)に嫌われ有無を言わさず突然追い出され、本来はあと数ヶ月する予定であったリハビリを故意的に出来なくなるようにされ、さらに自分の装具もなし、(装具屋に直接お願いして早急になんとかしてもらった)自宅改修もなしで追い出され、色々裏でやりたい放題やられ、頭が真っ白になった。

 

「リハビリとは人間の尊厳の回復」とは程遠い病院。

 

もっといえば、その先生に高血圧の薬を飲んむように言われたけど。高血圧ではなかったという( ̄▽ ̄;)薮なのか?あの病院循環器の先生もいたよね。。。

あの病院はその森先生で大きくなったといってたから俺様なんだろうけどさ。

人の今後の人生から全てを左右するのにすげぇなぁ。。

今思えば。

逆にいえば、良いように転がせば限界まで入院ももちろん可能だったし(笑)

私がもっと古狸になれていれば、問題がなかったんだろうけどね。(笑)

本当に脳卒中になって、「女」という性別のためにろくな目に遭わないなぁ。

 

退院した当初は本当に

「今後この身体でどーやっていけばいいんだろう?」

と、途方に暮れ、泣き暮す日々でしたが。

本当に自殺してあの看護師と医師を呪ってやろうかと思うほどでした。

 

羽島市の役所の人達、市民病院の人達、ケアマネさん通所の病院の人達などなど多くの人達が支えてくれて、今はあの頃に比べはるかに麻痺も良くなってきたし。

そう考えれば、3時間半の通所リハビリ時間が1時間半へったところで、そう大したことは無いと思える。

それに運良く運動機能以外の脳は壊れてなく、自分で考える事ができるからね。

 

そういえば。

先日の失語症カフェで、私のように奇跡的回復したひとがいました。

そう考えると、もしかしたら、やっぱり、「奇跡的」なんてものはなく。脳卒中麻痺はちゃんと正しいやり方をすれば「治る」ものなのじゃないかなぁ。

そういう意味では、そういう人達を集めて、座談会とかして、治る人達の共通点を沢山見つけて行くことがこれから麻痺になる人達には有効なのかもしれないなぁ。

 

問題は。

そういう人達って、健常者の仲間入り?元の世界に戻っているから見つけるのは至難の技だよなぁ。

今回みつけられたのは、その人が「先生」という職業の人で、元々そういう事をやることが好きな人だから見つかっただけで、普通の人は治ったらでてこないもんね。

しかも、「失語症」限定となればさらに少ない。。。

今日の朝も脳卒中から復活みないな特集してたけどさ。

脳画像見る限り、外側のほんの1部に脳梗塞がでていて、いわゆる軽い人だった。

 

多分テレビ局に孫でもいるんだろうなーとか思いつつ(笑)

 

今日やった第一関節筋トレを後でまた載せとこうw