こまちの脳梗塞日記

穿通枝梗塞に2016年3月6日になり、(当時43才)日に日に動かなくなり、最後には手も足も動かなくなり左半身麻痺〜(・・;)。その世界では結構有名?な先生から「脚はある程度なおるかもしれないけど、運動神経無いから腕は諦めて、新聞とか読むときの押さえることとかに使ってね♪」と言われてからのリハビリ日記なうw

「気合い」を入れてリハビリ

男性によく見られる。

「気合いを入れてリハビリ」

「自己満足リハビリ」

特にスポーツやってた方、真面目な方におおいっぽいですね。

 

なにかやり遂げた!!!っていう達成感はあると思います。

 

それがいいのか?わるいのか?は解りませんが。

 

私がリハビリに望むときの姿勢は

鏡のようになっている湖面。静かな心、澄み切った青空、清流のように

いかに冷静沈着、客観的にいられるか?

かすかな異変をどれだけ早く正確にキャッチできるか? 

 

 「気合い」を入れると疲れるので入れません。

健常者の頃普通に生活しているとき「気合い」入れて歩きませんからね。山登りとかは入れますけど^_^;

どちらかというとリラックスしてます。

気合いを入れるシーンは、今の季節だと、お祭りや運動会、ハロウィンとかですかね?

もしくは、スポーツ系試合とか?

 

私は4年ほど空手の先生に実践護身術を教えてもらっていました。

その時はもちろん「気合い」いれてました。

サンドバック殴ったり蹴ったり

組んでやることもありましたし。

 

「リハビリ」って、それじゃないよね?「普通」をとりもどすことなんじゃないの?(・ω・)

 

北斗の拳ラオウや、ケンシロウではなく、トキのような感じでやるべきではないのかな?(・ω・)

もし、「気合い」をリハビリでいれたいのなら。メンタル面で入れるのは良いのかも知れないけど、どうなんだろう??? 

 

「気合いリハビリ」だと年取ったら、毎日がしんどくなりそうねw

 

こんな事を言うと

「なにをしても上手く思うようにいかないから」

「じゃぁどうしたらいいんだ」

「こまさんはできるからわからないんだ」

という話しになってしまいます。

歯がゆい思いを私がしてこなかったとでも?

絶望したことがないとでも?

 

「できない(動かない)から、できるまで(動くまで)やる(考える)んですよ」

 

ただそれだけのシンプルな事。

 

解らなければ、勉強して相談してアドバイスもらって自分の身体を研究して解るまで追求すればいい。

 

当然、高齢でそこまでやらなくてもいいと思って今の身体で頑張っていこう!と腹がくくれるのもとても良いことだと思います^_^

 

発病から何年も麻痺の身体で今、生きていることができてるので、別にどうしてもやらなくても生活してはいけるハズなので(・ω・)

ある意味諦めてしまってもいいのかも?しれませんが、年齢がかさむにつれて健康側が衰えて今の生活がままならなくなるらしーです(;゚д゚)

 

私のように諦めが悪く、あがき続けることはとてもしんどいことですが、ある一定レベルにまで到達すると物凄く楽になります。

動かない所を動かすコツとでもいうんですかね?

 

ハイジのオンジがクララに言っているように

 

「誰にだってどんな事でも、思うように上手くいかなくてくさることはある。それを乗り越えていくんだよ」(←こんな雰囲気^_^;)

 

勉強でもスポーツでも初めて乗った自転車でもそうだったと思いませんか?

 

色々言っても決めるのは、私でも、リハビリの先生でも医者でもなく、自分自身なので、

将来どのような結果になっても、自分に後悔がないリハビリ生活が理想的なのかな??