こまちの脳梗塞日記

穿通枝梗塞に2016年3月初旬になり、(当時43才)日に日に動かなくなり、最後には手も足も動かなくなり左半身麻痺〜(・・;)。その世界では結構有名?な先生から「脚はある程度なおるかもしれないけど、運動神経無いから腕は諦めて、新聞とか読むときの押さえることとかに使ってね♪」と言われてからのリハビリ日記なうw

私がやってきた事(リハビリ病院)

入院して数日の検査のみの日々の間に手が固まって自力で全く動かせなくなっていました。

発病してからこれが1番唖然としたことです。

 

頭が真っ白になり、初めて困り果てました。

 

その時初めて自分の麻痺側がどうなっているのか?

と思うようになりました。

 

電極を付け、電気を流した時、指が開きました。

この時。

頭のしんまで痺れましたが、それで指が開くのならこれを受け入れるよう努力する事にしました。

あまりに強烈で他の筋肉に影響が出るところの手前までを我慢レベルにしました。

 

暫くして病院内のガーデンに出ることができるようになったので、毎朝朝食後ガーデンに出て目を閉じて、自分の身体がどうなっているのか?のチェックをするようにしました。

これは、朝目覚めた時もベットの中でしました。

 

病院生活に慣れてきたので、リハビリ室で自主トレをするようにしました。

目を閉じて集中して自分が今どうなっているのか?を確認してからできる範囲の柔軟をしました。

 

その頃、OTさんが筋肉の本をよく見せてくれて、どこをどうするとどう動くのか。を毎日丁寧に教えてくれました。

私は教えて貰ったところの筋肉の位置を意識する努力をして、少しでも不安がある時はOTさんに確認をとりました。

 

それらをずっとくりかえしているうちに、

麻痺側のみ、「ここ」と指摘されれば、そこの筋肉を単品で動かせたり、力を抜いたりすることができるようになりました。

 

この頃よく聞かれたのが

「本当にスポーツしてなかったの?」

 

転機だったのは、手の訓練のタオルで机の手前から向こう側に動かす動作ができない時。

OTさんに

「健側と麻痺側と同じことをして、何が違うと思う?」

と聞かれて私は

「麻痺側は腕が重い。」

と答えました。

この事があってから、麻痺側がなんで動かしにくいのか?動かないのか?を常に考えるようになりました。

この頃は日中は毎日リハビリ室にいました。

自主トレをする時は必ずどういう目的でやるか?どこの筋肉を使うのか?を確認して少しでもズレがないように意識をしました。

周りの先生たちもおかしい時は注意してくれました。

自分で「合っている」という思い込みがないように注意しました。

常に「正確に」

 

意識を必要としない、アキレス腱伸ばしや腕伸ばし、などをする時は、他に意識しないといけない事と同時にしていました。

 

例えば

アキレス腱のばしをするために起立台に乗っている時は、軽い重りをつかって、肩周りの筋トレとか

立って足首上げの電気をながしてもらいながら、手を机にくっつけて伸ばすなど。これをする時は、腰から上下で意識を変えるようにしていました。

 

担当のリハビリの先生からの指示の自主トレは1度は必ずやりました。

が。

苦痛な物がおおかったので、同じ効果がえられそうな、もっと楽な方法を提案して、調整しました。

苦痛についてはまた別で書きます。

 

私のリハビリスタイルは。

 

「リハビリは楽なものでなくてはつづかない。」

苦痛なリハビリを1日して満足して次の日からやらないのは意味がない。

 

セラピストの皆さんは「やらないとよくならないよ」と言われます。

その通りなんです。

が。

脳卒中の麻痺した筋肉の感覚。辛さ。痛さ。は当事者や同じ病気をした人にしか解らないところがどうしてもあるし、それを理解しろといっても無理だと思います。生まれてこの方、この感覚は無いです。

強いていうなら。

鉄棒に腕の限界までぶら下がって飛び降りた時。

腕に変な感覚があります。

あれの酷いものと、+真冬の凍える感覚です。

冬に鉄棒にぶらさがって降りた感覚ではないです。